市民後見人養成講座6日目

今日の市民後見人養成講座は、認知症高齢者概論、知的障がい者概論について学びました。
まず、認知症高齢者概論では、宅老所よりあい代表の村瀬孝生さんの講義で、これまで介護職として村瀬さんが関わってきた方、また、宅老所よりあいを立ち上げる中で関わってきた方、そして宅老所よりあいで関わっている方のことについて触れながら、『老い』について、『ボケる』ということについて、認知症高齢者の方が生きる世界について、地域住民や専門職の関わりについて話をされました。心が温かくなるようなエピソードに、ついつい笑って最後まで話を聞きましたが、大事な視点や考え方を教わりました。印象に残ったお話や言葉をいくつか紹介します。
・老いということを他人事ではなく自らの老いとしてみなさんにとらえてほしい。誰もが老いの階段を一つひとつ降りていき、できないことが増えていくのは当たり前で自然なこと。本人はできないことを受け入れているのに、まわりが受け入れることができず、安全、安心だけを優先して施設に入れと言うが、本人はそれでいいのでしょうか。
・認知症になると、妄想が出ることもあるが、自分が思ったことが事実(主観的事実)で、それは我々も何歳の人でも一緒であり、「違うでしょ」と対応する自分は客観的事実であり、私たちは認知症を作っている側であることを現場で感じた。
・ボケるということは、時間と空間の見当がつかなくなること(⇒時空を超える)で、谷川俊太郎さんも言われているように、10歳も30歳も40歳も生きてきたのだから全部自分の中にいて、時間の概念をもっているからその歳のふるまいをしているだけで、時間の概念がなくなればタイムスリップすることもある。認知症の方は今この瞬間を生きている。
こういったいくつものお話から、老いや認知症について、自然のことなんだということを感じ、ありのままを地域の中で受け入れることができるようにしたいと感じました。
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次に、知的障がい者概論では、NPO法人ちくほう共学舎「虫の家」事務局長の髙石伸人さんの講義で、知的障害の方たちがこれまでどのように見られてきたかということが伝えられ、『私』のなりたちについて考えた時、偏見を持たずにニュートラルな視点を持つことができるという話をされました。世間には、さり気なくではあるが「優生思想」の考え方が溢れていて、命を選別することにもつながることを指摘されました。また、制度化するということには、安定性や公平性というメリットもあるが画一化されてしまうデメリットがあることを問題意識としてもっておくことが大事だということ、そして成年後見制度のように「代行する」支援は、もちろん必要なことではあるが、自分のことは自分で決める自己決定を失いかねないという話があり、後見活動をする中でも自分の心にもしっかり留めておきたいと感じました。
他にもいろいろなお話がありここには書ききれませんが、印象に残った言葉やお話をいくつか紹介します。
・ノーマライゼーションという言葉があるが、障害をもつ人を健全な人に近付けようとするという考え方になってしまってはいないだろうか。同化させてはいけないし、できない。
・支援とは、関係が煮詰まらないようにちょっと間を置きながらあなたの困難を分けてもらって歩んでいけないだろうかという気持ちを相手に伝えること。
・誰が障害者で誰が健常者という風に分けることなんでできるはずがないのに、社会が認めるという価値づけが割り込んできてしまうこと⇒分けられない世界であること。
知的障害をもつ方の困難についても、相手の視点に立つことが難しいことや見通しを立てにくいこと等の話がありましたが、生きるかたちの違いだけだということが伝えられ、心に響きました。
どちらの講師の方からも、ありのままでいいじゃないか、それぞれの生きるかたちがあるだけだということを教わり、とても興味深いお話で引き込まれました。
次回は、1月21日です。